たかが胆嚢、されど胆嚢! 「胆嚢と寄り添った人生でした!」

 

 早いものでもう10月ですね。
昔の話を今日はします。七之輔は東京の大学を卒業後に福岡大学病院第一外科に勤務(志村秀彦教授)。もともと父山元七次も九州大学第一外科に所属し「胆道に関する薬理学的研究」で博士号を取り、伊万里の前田病院へ派遣されたことで伊万里との縁ができました。そして九大時代の同僚であった志村先生の元へ七之輔は預けられたようなものでした。
九大第一外科は明治時代(1904年)に三宅速(はやり)教授を京都大学から迎えて作られた教室で第4代目の教授、三宅博先生(速教授の息子)に父は師事してきました。この教室は一貫して胆石症を主な研究とし、福岡大学第一外科もそのルーツを辿った教室でした。
さて、七之輔も志村教授のもとで3年を過ぎようとした頃に先輩から胆嚢の生理について、要するに胆嚢の働きについて研究するテーマを戴いたところでした。

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胆嚢ってどこにあるの、どんな役目をしているの?まず最初に解剖と生理(役目)についてお話します。右脇腹に有り肝臓にびったりくっついている臓器ですね、しかし実は何のためにあるのか不明な臓器。馬・鹿等には無いのですから(無胆嚢動物)。
 皆さんの便の色は黄色ですね、また嘔吐をした際に黄色い液を吐きますね。まさか黄色の色素を口から飲んでいるわけではないですね、あれが胆汁です。
 胆汁は肝臓で約500ml/1日作られて胆管を通り十二指腸へと流れていきます。そして食べ物が消化しやすいような作用をするといわれています。そしてその途中に胆嚢があります。
ここに七之輔の研究から胆嚢の働きを考えた図をお示しします。実はこれをみつけるまでに1988年にイタリアのボローニャ大学(ヨーロッパで最古の大学1088年創設)で"The Significance of White bile in the gallbladder” (胆嚢白色胆汁の意義)を1992年にアメリカ生理学会誌に同様な事を発表してきました。
 実は食事をとると胆嚢はB)のように収縮し濃縮された胆嚢胆汁が十二指腸へ流出し昼、夜ご飯を食べるとC)のように胆嚢内は白色透明な液で満たされています。そして夜になると胆管と十二指腸の間にある門が閉まり肝臓からできた胆汁が胆嚢へと流れていきます(胆嚢は夜に花開く)。
お分かりと思いますが、胆石をおもちの方は、夜にがっつり食事をすると胆石が胆嚢の根っこに詰まり激痛が来るわけです。それも夜ですね。
 これまで話した事は胆嚢の解剖と生理(役目)を知っていただくための序文でした。次回から胆嚢との係り、胆石溶解剤などこれにまつわるお話を掲載しますのでお楽しみください。

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 福岡大学第一外科に入局して2年を過ぎようとする頃に五十君先生という頭がでかく短足の風貌で現れPhysiological Chemistry of the Bile by Harry Sobotkaの本を私の眼前におくや「君はこれから胆道生理を志してもらう」といきなり厳命。裏表紙にはしっかり[Prof.H.sobotkaに万感の敬意を表し、山元章生学兄研究者を志す日に贈る]と格好つけられ逃げ場がなくなった。
 与えられたテーマは胆嚢の生理、ところで生理とは何ぞや!生理とは臓器の働きを研究する学問で胆嚢の場合は流れてきた胆汁が胆嚢に流入し10倍ほどに濃縮されたとっても濃い胆嚢胆汁となる。 
 

 

 

2019年11月 2日 (土)

たかが胆嚢、されど胆嚢! 「胆嚢と寄り添った人生でした!」 その2

  いよいよ11月となりました。もう来月は師走、早いですね。

 さて前回に続いて胆嚢へと続きますがその前に。

1973年に福岡大学病院が福岡市西区七隈に新規開業。七之輔も開業翌年の19744月(昭和49年)に福岡大学病院へ入職。大学卒業前から福岡大学麻酔科初代教授檀健二郎先生が上京しては東京の場末の飲み屋で麻酔科へ入れとしきりに誘いが有り当然麻酔科へ入るものと覚悟して福岡大学をおとづれました。(檀先生の殺し文句は、親父には許可をもろたし子どもの頃からあんたの面倒をみよったバイ・・・なんとも言えませんでした。)

ところが待っていたのは第一外科の志村教授「あんたは今日から第一外科の研修医バイ、家は決めたね」とまだですといった途端に今から荒江のアパートを紹介するからと当時笠外科の2階へと。その頃の福岡大学も人材不足、九州大学第一外科関係者でしっかりと固め知り合いの子弟はと網を張って待っていたのでしょうね。

1_20191102144401  6人ほどの医局員でした。福岡大学の卒業生もまだでておらず朝から晩まで働きどうし。どんな手術でもこなす志村教授、「がってんの志村」といわれて何でも引き受けられるので医局員は大変、さらに話し始めたら夜なべになってしまう為末助教授と強者ばかりの一外科でした。為末先生は私の師匠で棟方志功並の芸術家であり各地の学会へ行くと必ず骨董屋巡り、そして宴会になると得意の空手の形を披露。何しろアメリカに留学しても空手に専念したほどの腕前。皆多士済々でした。

 懐かしいです、その頃の私の論文(後腹膜脂肪肉腫例)の挿し絵も為末先生のお手製ですが、外科医は絵が上手下手に限らず必ず絵を描く事で細かい解剖や手術手法を頭にたたき込んできました。描いた手術記録が最も重要と言われて育ちました。(私が折角描いた「手」の絵も子供たちからそれって足じゃん!)

 忙しいなかに土曜日は大学の外来もなく志村杯と称しては私以外はゴルフ。「ヤマゲンくん、あんたはゴルフはまだ早かけん留守番」と。一方では「ゴルフの道は外科医の道に通じる」これってなんだろうと思いながらの2年間でした。

・・・・つづく

 

2019年10月27日 (日)

秋祭り本番

秋祭り本番

 

 1027日秋晴れの素晴らしい日、市民総参加の総踊りに外国人を引き連れて参加。2010年までは社会医療法人謙仁会(山元記念病院、楽寿園、幸寿園)毎年参加していましたが、昨年から再び血が騒ぎ始めて外国人とともに「勝手連」として出させていただきました。

 ご存知のように伊万里市の伊萬里神社の秋祭り「伊万里トンテントン」は10月25日、宵祭りの「安幕(やすまく)」で幕を開けました。「トンテントン」と太鼓の音が聞こえると伊万里人は何となく血が沸き立ってきます。今年も荒神輿(あらみこし)と団車(だんじり)が激しくぶつかり合ったようです。

 私たちは国際交流を目的に「国際交流おどり隊」とでもいうか七之輔を筆頭に病院の医師、フィリピンからの看護師、本部の西田親子、ミャンマーからの留学生、スリランカからの技能実習生そして EPA介護福祉士候補生と総勢20人弱で「伊万里小唄」など3曲を1時間ほど楽しみました。

踊り終了後はうえだでお疲れさまを行い異国を離れてきた外国人との交流の場を持ち楽しみました。

また、来年も参加しましょう。
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2019年7月24日 (水)

フィリピン、ビジネスのたび!

結構頑張ったスケジュールでした。

ホテルでプールに入ったりとセレブの旅をと、違いました。

一日目には

 フィリピン特有のジムニーに乗ったり三輪車に試乗と。乗ると同時に直ちに座るなりものを掴まないと後部座席から放り出されてしまいそう。人生と同様に支援する人が多いと安心ですね。

 ジョンが貯蓄したお金で現在家をご両親へプレゼント。凄いこころ活きで今年の10月には完成予定。よか息子ですね、今の日本社会ではあまり考えられないでしょうね。

 昼食をバーガーキングで食べてケソンシティなどのフィリピン人職員5人中3人が卒業したOur Lady of Fatima Universityやジョナリーが卒業したChinese General Hospital Collage of Nursingを見学。

 前日からそうなんですが、フィリピン人の運転が見事というかルールのない車洪水の中を上手に泳ぐように運転する能力は凄いですね。右から左からとハエのようにわき出るバイク集団(少し言葉が過ぎましたが)を見ながらより分けラッシュアワーをくぐり抜く姿はなかなか日本では見られない。助手席に陣取った私がストレスを感じるほどでした。

 国立博物館へも案内していただきました。もしマニラへ行くような機会があれば是非お出かけください。フィリピン人の伝統文化や魂の部分を知る事ができると思った以上に素晴らしい作品が並んでいます。福岡からフィリピンまで意外に近くたったの3時間と20分前後と非常に近く以前と違いドテルテ大統領が絶大な権力下で安全な国として見なさん誇りを持っているようでした。

 夕方には、シャングリラホテル1階のレストランで当院において活躍するフィリピン人職員のご家族に集まって戴き親睦会。皆なとっても頑張り屋さんでご安心くださいとお話をしました。最近伊万里へ来たエンリコの奥様も4時間掛けて子どもと出席。

 Jonalee Family、Enrico Family、Mark Family、Jon Family, Jason familyの父母や兄弟、そして甥や姪と大勢で楽しい夕べを過ごしました。外国に子供たちをやってさぞやご心配の事と思いジョンのフィリピン帰国とともに思い立って訪問して私の気持ちも落ち着いてきました。

 心配しないでください、フィリピン人皆一生懸命に頑張っています。

 二日目は朝からフィリピンの海外雇用省を訪問。特定技能が話題となっていますね。300人程が介護技能試験に受験し80名が合格したといわれています。その合格者の窓口等を具体的にどうなっているのかお尋ねするところでした。所属の弁護士さんとの面談しその部署までたどり着いたところでしたが特定技能の担当者が不在。後はジョン君が電話とメールを戴いたので交渉するということとなりました。海外で働こうと訪れる多くの人が待っている状況のようで今後の日本での介護人材不足に対してこれからも情報を得ておきたいと考えています。

 ちょうどその頃にクラウンプラザホテルでEPAのマッチング、日本の施設とEPA候補生との面接が行われている事を知り顔を出してきました。JICWELS(国際厚生事業団)がベトナムやインドネシアで同様な事を行っているのでしょうが驚いた事でした。当方にしてもお知らせを頂きながらも不参加とはと残念でした。

 この日はまだ続きます。ケソンシティから3時間ほどでしょうか、そこにNightingale Caregiver Training Center(ナイチンゲール介護センター)という学校が有り私たちの紹介が為されました。40人程の学生が待っており自己紹介と謙仁会のお話、ジョン君が日本でフィリピン人が働くにはなどの話を行いました。質問も多くそれだけ興味があるようです。

 まだ続きます。最後の夜はマークやジェソンの知り合いで日本で介護や看護で働きたい人々との食事会でした。看護学科を卒業してもフィリピン内ではなかなか仕事がないそうで是非日本で仕事をしたいと希望を語ってくれました。

 3泊4日の旅ですが、前後1日づつは移動に使いまるまる2日間だけがフリータイムです。しかしジョン君がしっかり今後の人材不足を考えて特定技能やEPA候補生の情報を集めるスケジュールを組んでくれていました。

2019年6月23日 (日)

日本抗加齢医学会で!

  今日は朝の散歩ではなく大都会の横浜にいます、と言うのはうそで6月15日から開催された第19回日本抗加齢医学会へ参加してきました。
 早速会場では平成4年に山元記念病院が主催した第5回佐賀救急医学会で特別講演に招聘したフジテレビ時代の黒岩祐治氏(現神奈川県知事)による第19回日本抗加齢医学(横浜)での特別講演が30分程あり聴講しました。知事が抗加齢との関係はと?今どんなことをされているのか興味がありました。

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きました。ライフワークでしょうか「ME-BYO」を世界中に発信し日本を変える思いで活躍され知事が先頭たって取り組む姿に久しぶりに感動。早速「ME-BYO」アプリを入れてみて黒岩さんの思い出とともに楽しんでいます。是非皆さんも「ME-BYO」アプリと「Pokemon Go」で運動をどんどんやってみてください。健康と病気の間に「未病」がグラッディエーションのように存在しており予防のために行政が社会化するという事ですね。

 ちょうどソーシャルサイエンス(社会科学)からみた新たなアンチエイジング・アプローチの講演があった。まず第一席では東大の飯島先生がフレイル対策として各職場での教育も重要であり、「栄養(食と口腔)・運動・社会参加」という三位一体に対して、フレイルが出現する前から意識を変えていく事が重要である。そのためには行政の真の部署間連携、さらには各職能団体、そしてコミュニティー(まさに生活の場に近いところ)での市民フレイルサポーターによる早期からの健康増進~フレイル予防活動も必要不可欠であるというお話でした。フレイル予防は官学産民の連携が必修でしょう。

 つぎに大阪大の神出先生はこれまで医療界では高血圧診療の最終アウトカムは心血管イベント(心不全など)の抑制においてきたが、認知機能やフレイルを評価する事が重要で身体機能や日常生活能力を調査することで、疾病予防・治療をより直接的に健康寿命延伸と関係し重要であると話している。そして面白い事にこの図にあるような運動習慣のみで文化活動やボランティア・地域活動を行っていない人は運動習慣はないが文化活動やボランティア・地域活動を行っている人の方が3倍ほどフレイルになりやすいとのデータが有り皆さんも運動に限らずに文化活動やボランティア・

地域活動を行うようにお願いします。

 最後にSmart Wellness Cityという造語を作り健幸都市づくりを提唱する筑波大学の久野先生による「人生100年時代のために健幸都市への転換できる社会技術とは」というテーマでの話であった。面白い事に健康に対して無関心層が7割近くおりその7割の層の特徴が1)健康づくりを開始しない、2)自治体や民間の予防メニューには参加しない(健診も含めて)、3)関心層に比べて健康リスク及び医療費がより高い。なるほど考えてみれば健康教室などは高い「関心層」だけが対象となっており自治体あるいは国レベルで見た健康度の改善や国保・介護費など抑制効果が得られなかったのは当然の結果であるという。そこで①インセンティブ(健幸ポイント)、②ソーシャルインパクトボンド(SIB)の活用、③ウオーカブルシティへの転換、④インフルエンサーとしての「健幸アンバサダー200万人養成PJ」を提唱されており一度特別講演においで頂きたいものだ。

 今日は横浜も雨、運動道具も持ってきたものの役立たず残念。ひたすら勉強か!(パシフィコ横浜にて)

 

 

2019年5月27日 (月)

若手外科医の決意―鬼手仏心―

日本外科学会雑誌に今月掲載されました。
  私の甥ですが、彼にとっては祖父山元七次の精神をしっかり受け継いでいますね😃


若手外科医の決意―鬼手仏心―

 

嬉野医療センター 心臓血管外科

 

山元 博文

 

[平成23(2011)年卒]

 

内容要旨
卒後9年目の心臓血管外科医として日々診療にあたっていますが,医師を目指したときの気持ちを振り返りつつ,日々の診療の中で私自身が心に留めていることを述べさせていただきたいと思います.

 

キーワード
鬼手仏心, 心臓血管外科

ダウンロード - horoaki.pdf

2019年5月21日 (火)

医師の偏在ってどんなこと?

この4月から「佐賀県地域医療対策協議会」(地対協)が始まった。内容は「地域間の医師偏在の解消等を通じ、地域における医療提供体制を確保Photo_37 するため、都道府県の医療計画における医師の確保に関する事項の策定、臨床研修病院の指定権限及び研修医定員の決定権限の都道府県への移譲等の措置を講ずる。」と難しい内容だが、簡単にいうと医師が少ないところに医師を増やそうという政策を県単位で考えていこうという事である。
先日国から人口10万人当りの医師数、「医師偏在指標」が発表された(これには医療需要から将来の人口構成,患者の流出入等を考慮)。左図では一見して医師の割合が北に少なく西日本に多いとわかり、東北地方の医療の厳しさが理解できる。
そこで国は医師の少ない地域での勤務を促すにはどうしたら良いかと考えた。2008年頃から医学部の入学定員に経済支援をするかわりに医師少数地域で一定程度勤務する「地域枠」という制度を設けた。現在ではその数が年に1674名となり医学部定員9420人うちの18%を占めるようになった。
 さて4月19日に地域医療対策協議会(地対協)が佐賀県でも始まった。医師の地域偏在をなくし医師偏在指標が下位33.3%の地域を「医師少数地域」、上位33.3%の地域を 「医師多数地域」として認定し、医師少数地域で医師を確保しやすい対策をつくり、医師少数地域を3〜4年ごとに解消することを目標としたやり方だ。
その医師偏在指標とやらの発表がなされた。佐賀県は10万人当りの医師数、47都道府県中医師偏在指標13位(偏在指標250)と医師多数県となったが、しかし一方で335ある2次医療圏内(都道府県が設定した医療圏)では私たちの西部医療圏(伊万里・有田)は医師偏在指標276位と医師少数の二次医療圏である。県単位では医師多数でも県内を見ると大学がある中部が圧倒的に医師多数地域であっても医師数は西部はその1/3である。
二次医療圏 医師偏在指標 順位(335中)
東部(鳥栖,基山,上峰、みやき) 152.9 199
西部(伊万里、有田) 126.6 276
南部(武雄,鹿島,嬉野,大町,江北、白石,太良) 209 87
北部(唐津,玄海) 192.2 113
中部(佐賀,多久,小城,神埼,吉野ヶ里) 363.4 15
その会議で各代表の意見聴取が行なわれたが2次医療圏内で少数かどうかの意見集約は行われずに医師多数の地域でも産婦人科など特定な診療科の医師が少ないと言う意見が多く語られた。この点は医師の地域偏在と診療科偏在が混在し意見の集約がなされなかったのでは感じた。医師の診療科偏在とは、図に見られるように平成6年以来産科婦人科、外科の医師数はほとんど増えておらず「外科医は将来絶滅危惧種」とまで揶揄される状況となっている。
 何故医師は当地のような医師少数地区での勤務を回避しようとするのか。医療提供側の課題としては医師の専門医志向に限らず大学病院から離れるという地理的問題、都会の学校で学ばせたいという子弟の教育問題等が大きく関係している。一方受療側としては患者家族の大病院や専門医指向が関係しているように思う。
Photo_36  医療安全が地域で確保されなければ地域社会は崩壊への道を進む。まさに伊万里は明日の夕張にならないとも誰が明言できるだろうか。これからの医療のあり方を医療提供側と地域住民が共にしっかり考える時機となっているのは確かである。続く

 

参考資料
医師偏在対策について(医療計画策定研修会2018.2.9 厚生労働省医政局)
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000194394.pdf
 

 

2019年5月 1日 (水)

元号「令和」の新時代へ

   大化から数えて248番目の元号とし令和が選ばれた。昭和、平成、令和と生きてきて感無量である。急速な経済発展を果たした日本、その発展を持続してきた日本、これからも発展を祈るばかりである。
 新天皇の即位日となる5月1日に改元が行われた。日本最古の歌集「万葉集」巻5、梅花の歌32首の序文にある「初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」(書き下し文)から二文字をとって命名された。典拠を中国古典ではなく日本古典(国書)とする元号は、確認できる限り今回が初めてとされるそうで私たちの社会でも更に「令和」に期待したいところだ。
 Photo_33 話は変わるが、先月4月21日夕方にアイムジャパン会社からコロンボで大きなテロが発生した事を告げる急なメールを戴いた。4月15日にスリランカ人技能実習生の現地指導者Kamal氏が当院を訪れスリランカへの帰途の途中であった。連絡をするとまだ機中であり、到着後もコロンボの空港からは外出禁止でホテルに泊まりやっと22日に帰宅したという連絡がはいった。コロンボは夜間の外出禁止令か戒厳令下にあるようで、さらに日本人の犠牲者も報道され惨状が伝わるにつれて憤りと悲しみが込み上げてきた。
 実は昨年11月にスリランカを訪れて泊まったホテルが今回ターゲットの一つとなったコロンボのシャングリラホテル。テレビ画面に出るシャングリラの朝食会場やレストランは無残な焼き落ちた状態と化しており悲しい限りである(写真は爆破前の朝食会場とレストランからの夜景)。
 ホテルはインド洋に面し朝は海岸べりでクリケットに興ずる人々で、夜は目の前に大海原が広がり地平線に日が沈むサンセットの黄昏は素晴らしい思い出となっていた。
朝食会場で親しく話しかけ、またサーブしてくれたホテルマン達の笑顔が忘れられず、爆破による安否が大変気になると同時に私自身も強いショックを受けている。テロは絶対に許すべきではない。
2_3  スリランカという国はヒンズー教徒のタミル人と、多数派で仏教徒中心のシンハラ人の間で抗争が続いた歴史がある。1970年代に結成されたタミル人過激派組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」とシンハラ人が対立し、90年代に大統領が爆弾テロの犠牲になるなど治安が悪化したが、これからはスリランカ人一つとなり観光立国を目指していた矢先でなかったかと思う。
 私たちは、生まれるときは国を選べない。人類皆兄弟、家族である。国を心配するスリランカ人クマーリとペレラーを家族として暖かく迎え入れ見守っていきたい。
 最後に新元号の「令和」は、未来を切り開く新しい時代となる事を期待したいですね。

 

2019年3月23日 (土)

㊗️佐賀県初の外国人看護師誕生 EPA看護師候補生ジョナリーさん、看護師国家試験合格おめでとう!

佐賀県初の外国人看護師誕生
EPA看護師候補生ジョナリーさん、看護師国家試験合格おめでとう!


1 2016年12月にEPA(経済連携協定)看護師候補生として東京の病院へ。事情があり2017年に当院へEPA看護師候補生として入職。
 ジョナリーさんの経歴は2008年にフィリピンの看護師免許を取り2年ほどマニラの600床程の病院で、その後サウジアラビアで4年ほど働いてきました。フィリピン語、英語はもちろんの事日本語も驚くほど上達してとっても可愛い明るい女性です。
 看護師候補者とはEPA(経済連携協定)に基づき、受入れ機関と締結した受入れ施設(山元記念病院)において、研修責任者の監督の下で日本の看護師・介護福祉士資格を取得することを目的とした研修を受けながら就労するインドネシア人、フィリピン人及びベトナム人をいいます。図のように候補生は日本へ来る前に6ヶ月間の日本語の研修し更に日本へ来ても6ヶ月間の日本語と看護導入研修が義務づけられています。  原則として日本での国家試験は看護師の場合3回まで、介護福祉士の場合1回のみで不合格の場合は残念ながら帰国せざるを得ないという厳しいシステムです。

年々外国人の合格者数は増加する傾向にありますが、一年目で合格する方はまれで2年目、3年目でやっと合格するようで合格率は20%以下という大変な厳しさです。
 ジョナリーさんは今回山口県と佐賀県の准看護師試験を受けました。私たちは、国家試験が准看護師の試験よりとっても難しいと考えがちですが、外国人からいえば准看護師の試験はルビ(ふりがな)が無いだけに国家試験よりも大変難しいとのことです。
 3月8日山口県、3月13日佐賀県の准看護師試験合格そして3月22日看護師国家試験合格と3戦全勝。頑張りましたね。

幸いな事に、この1年間に合格するために沢山の方々から支援をいただきました。生活面、心理面そして教育でのサポートをいただきました。特に古川看護師のジョナリーに寄り添う様な学習指導、伊万里看護学校での授業への参加許可いただいた先生方、本当にありがとうございました。看護学校の白川副校長からは、ジョナリーの学習態度・姿勢が素晴らしく同じ看護学生も多いに見習う事が多く刺激になったとお褒めの言葉をいただきました。確かに素晴らしい子と思います。

  自国を離れて明るいとは言う物の彼女を支えた事は何ですか?と尋ねたところ「ママの言葉です、ジョナリーなら大丈夫、やれるよ!」という本当にけなげなそして頑張り屋のジョナリーです。これからもぜひ応援してください。

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2019年3月17日 (日)

いよいよ外国人技能実習生が来日

ぼちぼち桜の花も咲く頃となりました。入学試験や資格試験も一段落して新しい挑戦が始まった頃かと思います。
 さて今月末には当謙仁会・鶴丸会にもミャンマーや遠いスリランカから留学生や技能実習生が来日します。
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少子高齢化と支え手の現状
これまでも高齢人口は2040年までは増加し、一方生産・年少人口はそれ以上に減少する事をお話してきました。まだ実感として少ないようですが2025年になると更に厳しい状況が体感だけでなく視覚的にも分かるような時代となるのではと予想されます。なにしろ「支え手」がいないという時代になります。
 この図のように介護人材の需要は来年(2020年)でも26万人、2025年で55万人程の需要が必要とも言われています。現状でも介護力は厳しくどこの施設でも人手不足でストレスが頂点に達しているかもしれません。医療や介護は患者さんや利用者さんとの会話が重要で余裕がなくては皆さんの心のケアをはじめ安心感を届ける事ができません。
 しかしながら医療・介護の世界はやりがいがある一方、「きつい、きたない、きけん」という職種なために希望者がすくないのが現状です。  
ここで介護福祉士養成施設の定員・入学者数の推移を見てみましょう。定員数も年々減少、入学者数に至っては定員割れの学校だらけとなりました。残念ながら定員の50%を満たない大変厳しい状況です。
 本当にこれからどうなるんでしょうね。まだまだでこれからが正念場です。
それでは解決策としてどうするか。それをしっかりしないと施設が無くなるだけでなくホームレスのヒトが出てこないとは言えません。

 支え手を増やす3つを方法
① 高齢者で行なう。人生100年時代、健康老人が少しでも就労していただく事です。しかし定時出勤・退勤に加えて柔軟な働き方が必要となってきます。
②Aiやロボット。少しずつ始まってはいますが、これからというところです。これが入ったからと仕事量が減るかは難しいところです。2
② 外国人となります。
外国人をよぶパターンも3通りあります。
1)フィリピン・ベトナム・インドネシアなどEPA(経済連携協定)からの介護福祉士候補生の招聘
2)留学生として2年間西九州短期大学等の介護福祉学科へ通学し介護福祉士資格を取得する
3)外国人技能実習生として雇用の3つのルートからなります。
当法人では1)のEPA(経済連携協定)からの介護福祉士候補生の招聘2015年から3名(フィリピン人)、看護師候補生を1名(フィリピン人)を採用。この3月から2)としてミャンマーから西九州短大へ4名が有田から通う事となり卒業する2年後が楽しみです。3)としてスリランカから2名が来る事となっています。
4月から改正入管法により資格が変わるようです。特定技能という制度が新設されて最長5年ほど就労可能となり更に介護福祉士などの資格を取得すると在留期間の制限がなくなると同時に家族の帯同も許される制度のようです。Photo

来年度入学のミャンマー人は50名も佐賀県を希望して来日する予定です。佐賀県介護老人保健施設協会が今年度11名を招聘しその先輩達がSNS(ネット)で「佐賀はとっても人情がよく素晴らしいところ」だからとミャンマーに発信したところ大評判となり50名の定員に対して100名ものミャンマー人が応募してきたそうです。
人材不足は厳しい状況にあると同時に東南アジアもヨーロッパ、中東、中国、台湾、日本との間で人材争奪戦が繰り広げられているのが現況です。
ところで日本は大変美しく安全であるというのが評判で日本を選んできているようです。遠い異郷から来日する外国人留学生や外国人技能実習生にぜひ暖かいご声援をお願いいたします。


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