2019年5月21日 (火)

医師の偏在ってどんなこと?

この4月から「佐賀県地域医療対策協議会」(地対協)が始まった。内容は「地域間の医師偏在の解消等を通じ、地域における医療提供体制を確保Photo_37 するため、都道府県の医療計画における医師の確保に関する事項の策定、臨床研修病院の指定権限及び研修医定員の決定権限の都道府県への移譲等の措置を講ずる。」と難しい内容だが、簡単にいうと医師が少ないところに医師を増やそうという政策を県単位で考えていこうという事である。
先日国から人口10万人当りの医師数、「医師偏在指標」が発表された(これには医療需要から将来の人口構成,患者の流出入等を考慮)。左図では一見して医師の割合が北に少なく西日本に多いとわかり、東北地方の医療の厳しさが理解できる。
そこで国は医師の少ない地域での勤務を促すにはどうしたら良いかと考えた。2008年頃から医学部の入学定員に経済支援をするかわりに医師少数地域で一定程度勤務する「地域枠」という制度を設けた。現在ではその数が年に1674名となり医学部定員9420人うちの18%を占めるようになった。
 さて4月19日に地域医療対策協議会(地対協)が佐賀県でも始まった。医師の地域偏在をなくし医師偏在指標が下位33.3%の地域を「医師少数地域」、上位33.3%の地域を 「医師多数地域」として認定し、医師少数地域で医師を確保しやすい対策をつくり、医師少数地域を3〜4年ごとに解消することを目標としたやり方だ。
その医師偏在指標とやらの発表がなされた。佐賀県は10万人当りの医師数、47都道府県中医師偏在指標13位(偏在指標250)と医師多数県となったが、しかし一方で335ある2次医療圏内(都道府県が設定した医療圏)では私たちの西部医療圏(伊万里・有田)は医師偏在指標276位と医師少数の二次医療圏である。県単位では医師多数でも県内を見ると大学がある中部が圧倒的に医師多数地域であっても医師数は西部はその1/3である。
二次医療圏 医師偏在指標 順位(335中)
東部(鳥栖,基山,上峰、みやき) 152.9 199
西部(伊万里、有田) 126.6 276
南部(武雄,鹿島,嬉野,大町,江北、白石,太良) 209 87
北部(唐津,玄海) 192.2 113
中部(佐賀,多久,小城,神埼,吉野ヶ里) 363.4 15
その会議で各代表の意見聴取が行なわれたが2次医療圏内で少数かどうかの意見集約は行われずに医師多数の地域でも産婦人科など特定な診療科の医師が少ないと言う意見が多く語られた。この点は医師の地域偏在と診療科偏在が混在し意見の集約がなされなかったのでは感じた。医師の診療科偏在とは、図に見られるように平成6年以来産科婦人科、外科の医師数はほとんど増えておらず「外科医は将来絶滅危惧種」とまで揶揄される状況となっている。
 何故医師は当地のような医師少数地区での勤務を回避しようとするのか。医療提供側の課題としては医師の専門医志向に限らず大学病院から離れるという地理的問題、都会の学校で学ばせたいという子弟の教育問題等が大きく関係している。一方受療側としては患者家族の大病院や専門医指向が関係しているように思う。
Photo_36  医療安全が地域で確保されなければ地域社会は崩壊への道を進む。まさに伊万里は明日の夕張にならないとも誰が明言できるだろうか。これからの医療のあり方を医療提供側と地域住民が共にしっかり考える時機となっているのは確かである。続く

 

参考資料
医師偏在対策について(医療計画策定研修会2018.2.9 厚生労働省医政局)
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000194394.pdf
 

 

2019年5月 1日 (水)

元号「令和」の新時代へ

   大化から数えて248番目の元号とし令和が選ばれた。昭和、平成、令和と生きてきて感無量である。急速な経済発展を果たした日本、その発展を持続してきた日本、これからも発展を祈るばかりである。
 新天皇の即位日となる5月1日に改元が行われた。日本最古の歌集「万葉集」巻5、梅花の歌32首の序文にある「初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」(書き下し文)から二文字をとって命名された。典拠を中国古典ではなく日本古典(国書)とする元号は、確認できる限り今回が初めてとされるそうで私たちの社会でも更に「令和」に期待したいところだ。
 Photo_33 話は変わるが、先月4月21日夕方にアイムジャパン会社からコロンボで大きなテロが発生した事を告げる急なメールを戴いた。4月15日にスリランカ人技能実習生の現地指導者Kamal氏が当院を訪れスリランカへの帰途の途中であった。連絡をするとまだ機中であり、到着後もコロンボの空港からは外出禁止でホテルに泊まりやっと22日に帰宅したという連絡がはいった。コロンボは夜間の外出禁止令か戒厳令下にあるようで、さらに日本人の犠牲者も報道され惨状が伝わるにつれて憤りと悲しみが込み上げてきた。
 実は昨年11月にスリランカを訪れて泊まったホテルが今回ターゲットの一つとなったコロンボのシャングリラホテル。テレビ画面に出るシャングリラの朝食会場やレストランは無残な焼き落ちた状態と化しており悲しい限りである(写真は爆破前の朝食会場とレストランからの夜景)。
 ホテルはインド洋に面し朝は海岸べりでクリケットに興ずる人々で、夜は目の前に大海原が広がり地平線に日が沈むサンセットの黄昏は素晴らしい思い出となっていた。
朝食会場で親しく話しかけ、またサーブしてくれたホテルマン達の笑顔が忘れられず、爆破による安否が大変気になると同時に私自身も強いショックを受けている。テロは絶対に許すべきではない。
2_3  スリランカという国はヒンズー教徒のタミル人と、多数派で仏教徒中心のシンハラ人の間で抗争が続いた歴史がある。1970年代に結成されたタミル人過激派組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」とシンハラ人が対立し、90年代に大統領が爆弾テロの犠牲になるなど治安が悪化したが、これからはスリランカ人一つとなり観光立国を目指していた矢先でなかったかと思う。
 私たちは、生まれるときは国を選べない。人類皆兄弟、家族である。国を心配するスリランカ人クマーリとペレラーを家族として暖かく迎え入れ見守っていきたい。
 最後に新元号の「令和」は、未来を切り開く新しい時代となる事を期待したいですね。

 

2019年3月23日 (土)

㊗️佐賀県初の外国人看護師誕生 EPA看護師候補生ジョナリーさん、看護師国家試験合格おめでとう!

佐賀県初の外国人看護師誕生
EPA看護師候補生ジョナリーさん、看護師国家試験合格おめでとう!


1 2016年12月にEPA(経済連携協定)看護師候補生として東京の病院へ。事情があり2017年に当院へEPA看護師候補生として入職。
 ジョナリーさんの経歴は2008年にフィリピンの看護師免許を取り2年ほどマニラの600床程の病院で、その後サウジアラビアで4年ほど働いてきました。フィリピン語、英語はもちろんの事日本語も驚くほど上達してとっても可愛い明るい女性です。
 看護師候補者とはEPA(経済連携協定)に基づき、受入れ機関と締結した受入れ施設(山元記念病院)において、研修責任者の監督の下で日本の看護師・介護福祉士資格を取得することを目的とした研修を受けながら就労するインドネシア人、フィリピン人及びベトナム人をいいます。図のように候補生は日本へ来る前に6ヶ月間の日本語の研修し更に日本へ来ても6ヶ月間の日本語と看護導入研修が義務づけられています。  原則として日本での国家試験は看護師の場合3回まで、介護福祉士の場合1回のみで不合格の場合は残念ながら帰国せざるを得ないという厳しいシステムです。

年々外国人の合格者数は増加する傾向にありますが、一年目で合格する方はまれで2年目、3年目でやっと合格するようで合格率は20%以下という大変な厳しさです。
 ジョナリーさんは今回山口県と佐賀県の准看護師試験を受けました。私たちは、国家試験が准看護師の試験よりとっても難しいと考えがちですが、外国人からいえば准看護師の試験はルビ(ふりがな)が無いだけに国家試験よりも大変難しいとのことです。
 3月8日山口県、3月13日佐賀県の准看護師試験合格そして3月22日看護師国家試験合格と3戦全勝。頑張りましたね。

幸いな事に、この1年間に合格するために沢山の方々から支援をいただきました。生活面、心理面そして教育でのサポートをいただきました。特に古川看護師のジョナリーに寄り添う様な学習指導、伊万里看護学校での授業への参加許可いただいた先生方、本当にありがとうございました。看護学校の白川副校長からは、ジョナリーの学習態度・姿勢が素晴らしく同じ看護学生も多いに見習う事が多く刺激になったとお褒めの言葉をいただきました。確かに素晴らしい子と思います。

  自国を離れて明るいとは言う物の彼女を支えた事は何ですか?と尋ねたところ「ママの言葉です、ジョナリーなら大丈夫、やれるよ!」という本当にけなげなそして頑張り屋のジョナリーです。これからもぜひ応援してください。

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2019年3月17日 (日)

いよいよ外国人技能実習生が来日

ぼちぼち桜の花も咲く頃となりました。入学試験や資格試験も一段落して新しい挑戦が始まった頃かと思います。
 さて今月末には当謙仁会・鶴丸会にもミャンマーや遠いスリランカから留学生や技能実習生が来日します。
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少子高齢化と支え手の現状
これまでも高齢人口は2040年までは増加し、一方生産・年少人口はそれ以上に減少する事をお話してきました。まだ実感として少ないようですが2025年になると更に厳しい状況が体感だけでなく視覚的にも分かるような時代となるのではと予想されます。なにしろ「支え手」がいないという時代になります。
 この図のように介護人材の需要は来年(2020年)でも26万人、2025年で55万人程の需要が必要とも言われています。現状でも介護力は厳しくどこの施設でも人手不足でストレスが頂点に達しているかもしれません。医療や介護は患者さんや利用者さんとの会話が重要で余裕がなくては皆さんの心のケアをはじめ安心感を届ける事ができません。
 しかしながら医療・介護の世界はやりがいがある一方、「きつい、きたない、きけん」という職種なために希望者がすくないのが現状です。  
ここで介護福祉士養成施設の定員・入学者数の推移を見てみましょう。定員数も年々減少、入学者数に至っては定員割れの学校だらけとなりました。残念ながら定員の50%を満たない大変厳しい状況です。
 本当にこれからどうなるんでしょうね。まだまだでこれからが正念場です。
それでは解決策としてどうするか。それをしっかりしないと施設が無くなるだけでなくホームレスのヒトが出てこないとは言えません。

 支え手を増やす3つを方法
① 高齢者で行なう。人生100年時代、健康老人が少しでも就労していただく事です。しかし定時出勤・退勤に加えて柔軟な働き方が必要となってきます。
②Aiやロボット。少しずつ始まってはいますが、これからというところです。これが入ったからと仕事量が減るかは難しいところです。2
② 外国人となります。
外国人をよぶパターンも3通りあります。
1)フィリピン・ベトナム・インドネシアなどEPA(経済連携協定)からの介護福祉士候補生の招聘
2)留学生として2年間西九州短期大学等の介護福祉学科へ通学し介護福祉士資格を取得する
3)外国人技能実習生として雇用の3つのルートからなります。
当法人では1)のEPA(経済連携協定)からの介護福祉士候補生の招聘2015年から3名(フィリピン人)、看護師候補生を1名(フィリピン人)を採用。この3月から2)としてミャンマーから西九州短大へ4名が有田から通う事となり卒業する2年後が楽しみです。3)としてスリランカから2名が来る事となっています。
4月から改正入管法により資格が変わるようです。特定技能という制度が新設されて最長5年ほど就労可能となり更に介護福祉士などの資格を取得すると在留期間の制限がなくなると同時に家族の帯同も許される制度のようです。Photo

来年度入学のミャンマー人は50名も佐賀県を希望して来日する予定です。佐賀県介護老人保健施設協会が今年度11名を招聘しその先輩達がSNS(ネット)で「佐賀はとっても人情がよく素晴らしいところ」だからとミャンマーに発信したところ大評判となり50名の定員に対して100名ものミャンマー人が応募してきたそうです。
人材不足は厳しい状況にあると同時に東南アジアもヨーロッパ、中東、中国、台湾、日本との間で人材争奪戦が繰り広げられているのが現況です。
ところで日本は大変美しく安全であるというのが評判で日本を選んできているようです。遠い異郷から来日する外国人留学生や外国人技能実習生にぜひ暖かいご声援をお願いいたします。


おめでとう佐賀県初の外国人看護師誕生 EPA看護師候補生ジョナリーさん、看護師国家試験合格おめでとう!

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2016年12月にEPA(経済連携協定)看護師候補生として東京の病院へ。事情があり2017年に当院へ。
 ジョナリーさんの経歴は2008年にフィリピンの看護師免許を取り2年ほどマニラの600床程の病院で、その後サウジアラビアで4年ほど働いてきました。フィリピン語、英語はもちろんの事日本語も驚くほど上達してとっても可愛い明るい女性です。
 さて看護師候補者とはEPA(経済連携協定)に基づき、JICWELSが紹介した受入れ機関と締結した雇用契約に明示された受入れ施設において、研修責任者の監督の下で日本の看護師・介護福祉士資格を取得することを目的とした研修を受けながら就労するインドネシア人、フィリピン人及びベトナム人をいいます。候補生は日本へ来る前に6ヶ月間の日本語の研修し更に日本へ来ても6ヶ月間の日本語と看護導入研修が義務づけられております。
 日本の国家試験も看護師の場合は3回まで、介護福祉士の場合は1回のみで不合格の場合は帰国せざるを得ないという厳しさがあります。20190317_100743
  年々外国人の国試合格者数は増加する傾向にありますが、一年目で合格する方はまれで2年目、3年目でやっと合格するようで合格率は20%以下という大変な厳しさです。
 ジョナリーは今回山口県と佐賀県の准看護師試験を受けました。両方とも見事に合格しましたが、外国人からいえば准看護師の試験はルビ(ふりがな)が無いだけに国家試験よりも大変難しいと言っていました。
  この1年間に合格するために沢山の方々から支援をいただきました。生活面、心理面そして教育でのサポートをいただきました。特に古川看護師のジョナリーに寄り添う様な学習指導、伊万里看護学校での授業への参加許可いただいた先生方、本当にありがとうございました。
  自国を離れて明るいとは言う物の支えた事は何ですか?と尋ねたところ「ママの言葉です」という本当にけなげなそして頑張り屋のジョナリーです。これからもぜひ応援してください。
  


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2019年2月17日 (日)

特定看護師への挑戦

特定看護師への挑戦
「看護師特定行為挑戦マラソン」いよいよ今月から始まるよ!

 特定看護師への挑戦がいよいよ始まります。
七之輔のような団塊の世代が2025年には75歳という後期高齢者となります。それではどう対処するか。地域包括ケアシステムについてはご存知と思います。いわゆる「住み慣れたところで最期までその人らしく過ごす」というシステムですね、特に在宅医療等を充実することが重要となりました。
しかしながら現状では熟練した看護師のみでは足りず、医師の判断を待たずに、前もって医師の指示を書き示した手順書により、一定の診療の補助(例えば、脱水時の点滴(脱水の程度の 判断と輸液による補正)など)を行う特定看護師を養成して行こうとする制度です。
  例えばいつもの訪問看護師さんが、在宅患者の七之輔さんを訪問したおりに、夏バテで脱水症にかかってぐったりしたとします。頻回に脱水になる七之輔さんですが、現状では看護師さんはその度にかかりつけの先生へお電話をして指示を戴く事となります。
 1それが変わります、本特定行為という研修を修了した特定看護師さんは、その手順書に従って自分の判断で点滴等を行なってよいという制度です。もちろん実施後には医師へ報告をしなければなりません。
その研修のお話を少しします。特定看護師が手順書にしたがって行なう場合であっては、実践的な理解力、思考力や判断力並びに高度かつ専門的な知識・技能が必要とされるために厚生労働省が指定した指定研修機関で研修をしなければなりません。
幸いな事に当山元記念病院は、図にあるように昨年厚労省が指定した指定研修機関(昨年8月現在の九州の指定施設)として認可を受けe-ラーニング(315時間)をはじめ講義、演習、実習を全て山元記念病院においてできるようになりました。現在佐賀県では織田病院と当院の2ヶ所で研修が行われ当院で研修ができるという権利を充分に利用したいものです。ということでこの2月から当謙仁会グループ全看護師が参加する特定行為マラソンを行う事としています。いよいよスタートです!
修了者は厚労省が管理し国家試験に準づるような制度でありますが、基本的には地域医療において看護の質の向上をもたらすものだと信じています。
 このような看護師特定行為マラソンという長丁場ですが、マラソン同様に区間賞(月間)もあり皆さんも沿道にでて応援するようにエールを贈って戴ければ皆の励みとなりますのでご声援をよろしくお願いいたします。

(追記;現在、本県の研修指定機関は2か所で2区分(術後疼痛管理関連、栄養に係るカテーテル管理関連)の研修が実施され、本研修を取得した特定看護師は7名で、医療機関で活躍しています。残念ながら当院ではまだ研修中という状況です。
県としても県内で活躍する特定看護師を増やすため、特定行為研修を県内で実施できる体制の整備が重要であり、第7次保健医療計画においては重点施策とされ特定行為21区分のうち10区分の研修実施、修了者118名 という目標が掲げられていますので当院でも多くの特定看護師を養成することが待たれるところです。)

2019年1月 4日 (金)

心ふれあいつつ共に生きよう!!

              社会医療法人謙仁会 理事長 山元章生
 人間の本当の値打ちは何であろうか。人間の真価、ほんとうの値打ちというものは、頭が良いとか悪いとか、高校や一流大学を出たとか出ていないとか、そういうことだけでは決まるのではなく、もっと大切なことは、その人がほんとうに人間らしい心の持ち主であるかどうかという事だと思います。
 たとえ都会に行かず地域に残りまじめに自分の仕事と取り組みながら、ほんとうに人間らしい心を持ち、人間らしい行動のできる人であれば人として立派である。たとえどのような立派な高校や大学を出ても、仕事ができても、スポーツその他に秀でておろうと、もし人間としての大切なものを失っていたならば値打ちがないというよりも可哀想な人であるというべきではなかろうか。
 では一体どんなことが人間らしいことなのでしょうか。花言葉で「イースターリリー」の花のように純潔に、ローズのようにあたたかい愛を持ち、カーネーションのように目上の人を尊敬し、チューリップのように高い理想をもつ、この花言葉に皆さんはどのように感じ、自分を自己評価しますか。
 折りに触れ「お父さん、お母さん 有り難うございました」と言えるでしょうか。心の中で感謝しておればよいではないかという人もいるかも知れません。何事も人のことを批評することは至極優しいことです。しかしそれでよいのでしょうか。皆さんの感謝の気持ちや愛が介護、看護、医療の全ての行為が必ず指先から伝わっており、この子はなれた手つきそこそこしかやっていないなとか、未熟だけど一所懸命にやってくれているなと涙してくれる方々もいます。
 言われてみて、あるいは形にあらわして始めてそれに気づく人も多いのではないでしょうか。自分の考えをはっきりと述べることは大変大切なことであります。しかし、当然なすべき平凡な事すら実行することなく口だけが雄弁になることは恥ずべきことと考えます。
 日本は今や驚くほど高度成長経済を続けて、他国の目を見張らせています。
 しかしながら昨年11月にスリランカを訪れ二人の技能実習生にお会いし、「両親を幸せにしたい」「国に帰ったら介護や看護の会社をつくり国に貢献したい」という夢を知ったときに、心の中にある魂が大きく揺さぶられるおもいでした。
繁栄の陰に隠れて、人間生活の中で最も大切であるべき心の世界がゆるがせにされて、温かさとか、心のゆかしさとか言うものが、だんだん薄れつつあるのではないかということを改めに感じました。
 周りの人々が、国がこうしてくれるのは、当たりまえだというような気持ち、当たり前だ、いまだ足りないとさへ思う事から、別にあり難い事だという感謝の気持ちをあまり持とうとしない。「有り難うございました」「お世話になります」「おかげさまで」という、たったそれだけの言葉をめったに出そうとしない。自分さえよければ、他の人が困っても、社会に迷惑が生じても、それは構わないことだという自己本位の考え方が、はびこりつつあるように思われます。
 今は亡きアメリカの若き大統領ケネディは「アメリカが、世界が私達に何をしてくれるかと言うことを考える前に、私達が祖国アメリカに、また世界のために、何をなしうるのかを考えようではないか。」とアメリカ国民に訴えました。
 自分ほど大切なものはない、同様に外の人もまた大切にしなければならない。他の人の心を大切にしてその名誉を重んずる。人を困らせたり苦しめたり、悲しませたり、敬意を持って物を言ったり、甚だしきは陰に回って人を中傷したりする事は、自分自身の心の安らかさを失い、いつかは転じて禍がその人に返ってくる。そして社会の平和を乱すもとともなるでしょう。
 私達は人と人とのつながりの中で生きています。しかもそのつながりは私達自身の意思で選ぶ事のできない不思議な巡り合わせ、いわば運命的なものによるものであります。
 意のままになる天国のようなところはどこにもありません。多かれ少なかれ不平不満はきっとどこにもあるでしょう。しかしそうした事に心を暗くする前にもっとお互いの巡り合わせとか、人間のつながりとかを謙虚に喜びあいそれを大切にして更に深めていきたいものです。朝夕の明るい挨拶、「お世話になります」「お疲れさま」「温かくなりましたね」と言う何気ない言葉が、人間社会の不思議な潤滑油の働きをしてくれるのです。
 皆さん、私達が大切にしなくてはならないものは何であるのかもう一度真剣に考えてみましょう。人間の成長にとって大切な事は、その体と知恵とともに、親子兄弟、友達、先輩、指導を受ける人、患者さま、利用者との間に肌の触れ合い、心の触れあいを感ずる事のできる人となることではないでしょうか。そこから始めて物心両面の繁栄の職場や病院、理想の職場や病院が生まれるものと信じます。
 こうした事への信念と、希望とそして万難をはいして我行かんの勇気を持って進んで欲しいですね。それが若さというものであり、年若くとも、それの無い人は老人であり、老年であってもそれのある人は老いることを知らない青年であります。
 今年は、早速スリランカから2名、ミャンマーから4名の外国人が仲間に入ります。その一人が「両親を幸せにしたい」という言葉に感動しました。是非心から暖かく見守っていただける事を期待しています。
 今年も心のふれあいを大切にして共に生きていきましょう。

2019年1月 1日 (火)

泣こうかい翔ぼかい     泣くよか ひっ翔べ!!

泣こうかい翔ぼかい
    泣くよか ひっ翔べ!!
                           七之輔
 明けましておめでとうございます。お正月をいかがお過ごしでしょうか。
 今年の初めとして当法人の創立者である父山元七次の絵日記展覧会のお知らせをさせていただきます。父は命を全うするまでの半年間、闘病絵日記を書き続けてきました。
 薩摩隼人らしく薩摩の郷中教育に傾倒したのでしょうか、いわゆる近所の武士の子供同士が学び合う教育制度であり、その源泉である「泣こかい翔ぼかい、泣くよかひっ翔べ」をまず最初のページに記しています。悩む事があったら積極的に勇気を出して前にすすめという事ではないでしょうか。
父はご存知のように薩摩川内市で育ち鹿児島の「七高」(第七高等学校)そして長崎大学医学部へとすすみ敗戦とともに九州大学第一外科へ。縁があり昭和33年に現在謙仁の杜(本部・メディカルフィットネス「伊万里」)のところに山元外科病院を創立しました。
周りは蓮畑など水田が広がっており荷馬車を操り父自らが土を運び埋め立て木造の病院を作り上げました。夏になると水田からの蚊の攻勢があり、看護師の夜の仕事が病室に「蚊帳(かや)」を吊るすのが日課であり、また患者が私たちの家を占拠する事もたびたびで向かいの「いこい旅館」へ居候する事も楽しく思い出されます。実はやはり薩摩隼人の父、私たち兄弟には躾けにけっこう厳しく鉄拳が飛んできたりと沢山の思い出があり懐かしくもあります。今月は語り合いたい語り継ぎたいという思いから闘病絵日記展を開催する事といたしました。
 病院玄関から入ってすぐの山元七次メモリアルギャラリー(母故山元仁子が命名)で2019年1月より2ヶ月間開催します。好きな絵を描きながら不思議にコミカルな絵も描いたところもあり勇気づけられるところもあります。普段と何か違うなと胃カメラを行い、そして最終的には肝臓に腫瘍がある事を知り自分の生涯そして当院の行く末をも絵に託していますのでご照覧いただければ幸いです。
 写真での二人の笑顔が何とも言えませんね、思い出として最後に添付しております。

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2018年12月24日 (月)

世界遺産の承徳市 その5


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 このような写真を見た事はないでしょうか、乾隆帝の時代、18世紀の中頃、日本は江戸時代に相当しますが清朝はその領土を最も広げ、世界最大にして最強と思われる国家となったそうです。乾隆帝自身が数度にわたって辺境に遠征を行い、モンゴルのジュンガル、中央アジアの東トルキスタンのウイグル人居住区(乾隆帝の時領有して、「新疆」とした)、四川南部の苗族の平定、ビルマへの遠征などを展開し、この結果、満州人・漢人・モンゴル人(蒙)・ウイグル人(回)・チベット人(蔵)という、多民族国家としての現在の中国の「五族協和」という体制ができあがったと言われています。
 内政でも康煕帝の『古今図書集成』や『康煕字典』にならって、それを上回る修書事業を行い、『四庫全書』の編纂を行い、中国文明の集大成を図った建物が今も残されていました。
いよいよ18世紀後半に産業革命を進行させていたイギリスが、中国市場開拓に乗りだし、1793年にマカートニー使節団を派遣、制限貿易の撤廃を要求してきた。乾隆帝は要求を拒否したが、このような外圧は19世紀にはより強くなり、資本主義世界史上に組み込まれていったそうです。
 明治政府が樹立されたのが1868年ですので日本も欧米との葛藤も激しくなったことを思うと「せごどん」の活躍もさらに評価される出来事だったことでしょう。
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中国は食文化も豊富ですね。この写真は夜にご馳走になった「全家福」(家族料理とでも訳するのでしょうか)の入り口です。中に入ると料理人が北京ダックを上手に調理しわけていました。ダックはマキで焼くのですね。23

その横では中国のかわいいお嬢さんが日本で言う「琴」を奏でており素晴らしい雰囲気を醸し出していました。北京ダックとは、窯の中でアヒルをぱりぱりに焼き、皮を削ぎ切りにし薄い餅と呼ばれる皮にネギやキュウリと醤油の固まったようなモノ(味噌?)を包んで食べますね。銀座や六本木にも店を出している北京の全聚徳(ぜんしゅとく)が最も有名ですね。(北京でもこの店は順番待ちです)
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早速お決まりの白酒(バイチュウ)で乾杯。承徳の1975年ものの地酒「板城和順」を勧められ、多分度数で言えば50度ほど、乾杯(カンペイ)の嵐。日本人として負けまいと今やこの1曲しか踊れない「九州男児」を披露。これがよかったのかやっと中国人との心の隔たりがなくなってきたのではないでしょうか。
 この後承徳の家庭料理がどんどん出る事出る事。胃の大きさでは、とても太刀打ちできない承徳の夜でした。


2018年11月23日 (金)

目が輝く介護実習生に驚き! スリランカ介護実習訓練校訪問

目が輝く介護実習生に驚き!
スリランカ介護実習訓練校訪問


目的;今回の目的は受け入れる側である私たちが、スリランカの文化を知り少しでも来日(2019年1月末に2名技能実習生として入職予定)しても心配がないようにとの思いで現地を訪れました。さらに御本人と御両親に短時間でもお会いしご家族と気持ちの上で少しでも寄り添えたらと考えた次第です。
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訪問日;2018.11.21
訪問者;山元章生(社会医療法人謙仁会理事長)
山元謙太郎(社会医療法人謙仁会山元記念病院副院長)
同行者;スリランカ海外雇用省海外雇用局高官 
    国際人材育成機構アイム・ジャパン 渡邉加万瑠(カマル)氏(スリランカ担当本部長)
訪問先;介護実習生訓練校(Rathnapura , Sli Lanka)
コロンボから車で3時間程
状況;私たちが、訓練校へついた際、実習生は元気に暖かく出迎えてくれました。勢いと元気、そして目の輝きが印象的です。2

建物は鉄筋コンクリートで4階建て、国がトレーニングセンターとして数億円をつぎ込んだというとっても立派な訓練校です。
まず、講演の時間となりました。さすがに国が作った若者に国を託すという強いメッセージが入った立派な階段教室です。当社会医療法人謙仁会で行っている介護の具体例から先端医療(腹腔鏡下手術など)までそして日本に来ても「独りぼっちではない」(皆で支えます)という内容をスライドで提示したのでご理解できたのではないかと考えています。Img_18992

私は、常日ごろから「医療は介護を、介護は医療を知る」と職員にも話しているように「ヒト」を医療と介護を二分する事はできません。介護現場でも医療事故が起きているように介護であろうと医療を知る事は大変重要な事であり自分を守るためにも今後教育の中でしっかり教える必要があります。
紹介用のリーフレットはありませんが病室や入浴・トイレの教育、経鼻胃ろうの人体模型、リハビリテーション室などが備わっておりハード面は揃っており問題はないのではないかと思いました。ちょうど私たちが訪れたときは、寝たきりの人への食事介護の実習の真っ最中、研修生へどうですかと尋ねると楽しいとの一言。このグループはイスラエルへ行く実習生との事。このようにスリランカ然り他のアジア諸国もあらゆる国から人材派遣要請が求められており人材の獲得競争が行われている事もしっかり考えておく必要があります。
もう一つ46524076_2284942368196256_221454054、私たちは各国で介護職に対するニーズが違っており日本が最も質が高いと考える訳にはいけないという事実もあります。というのもインスリン注までも介護職に求める国がある事を知っておく必要があるようで諸外国の介護職に対するニーズの調査も必要かと思いました。
今後この子達の教育にお役に立てる事があればできる限りの事を社会医療法人として支援します。山元謙太郎副院長は早速国会議員等に会う算段をしているようです。
課題
短い時間だけの見学であまりみる事ができなかったのですが、気づいた点を列記します。
① 小さな事ですが、訓練校の2ヶ所においてトイレットペーパー(巻紙)が逆にセットされていました。これはとっても小さな事ではありますがあらゆる事に通じます。日ごろからちょっとしたことに「何故だろう」と疑問を持つ事、「あっそうなんだ」「あっそうだったんだ」と理解できるような教育をすることで原石がもっともっとダイヤモンドの様に輝く石となります。輝く目を持っていますので可能です。
② 日本語教育や介護訓練にしても到達目標をしっかり決めると効果がでます。おそらく計画書があると思いますのでPDCAサイクルを回してスリランカから来た訓練生は質が高いですねと言われるようになりたいです。私たちは日本語検定試験や介護福祉士の受験用の本を早速手配いたします。
③ 思春期の子供たちですので心のケアを行う心理士(1回ほど/週)もほしいところです。これはお話を聞いている中で切実に感じましたので今後の課題と思われます。大変と思いますが、実習生の教授陣への評価も必要でしょう。また、日本で働く実習生にも派遣先の評価をされたらいかがでしょうか。(アンケート調査)
④ 最後ですが、基本的な理念の徹底。(先日当方の誓い、要するに理念ですが○患者さんは常に正しい○頭を下げよ○ベストを尽くせを紹介しました。)
困ったときは創設期に戻るというように理念があれば少々の事を乗り越えられます。これをお尋ねする事を忘れていましたのであれば教えてください。


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