第2回博美会万延元年伊万里津絵図を歩こう
いろいろな発見が沢山有りました。延命橋のたもとに集合し枝垂れ椋の木がある伊万里保育園、城山公園(久しぶりに伊万里の町並みを見ました)、伊万里神社(七五三で賑わっていました)、教法寺、妙顕寺を訪れました。妙顕寺では和尚さん自ら第2回博美会万延元年伊万里津絵図を歩く会に参加して
博美会代表委員 山元章生
ちょっと肌寒い日曜日でした。延命橋の袂に博美会の方々を始め広報伊万里をみて参加された方も集まっておられて寒い中にも今回は何か素晴らしい歩く会になりそうな予感がしました。健康と歴史散歩をテーマとして居ますので、今回は昨今メタボに対抗して転倒予防として取り上げられるロコモティブ・シンドローム予防の片足一分立ち(巷ではフラミンゴ療法という)の勧めを解説いたしました。百寿者を迎えるためにも是非機会ある毎にフラミンゴ療法を行い転倒や寝たきり予防にお励みください。
いよいよ本題ですが、伊万里の歴史に大変造指の深い山口さん、徳永さんの解説に聞き入りながら先ずは伊万里保育園へ。卒園時である私も前の川で泳いだこと、城山で走り回ったガキ大将のころ、又城山公園から久しぶりに伊万里の町並みをみていろいろな事を思い出しました。父が前田病院に勤めていた関係上幸善町に住んでいましたのでその住居跡や托鉢僧が「お〜〜」と叫びながら街中を歩く姿は今でも強烈な印象として残っています。と回想していると禅寺円通寺へと案内されていました。自然が残されたお寺には秋の紅葉も重なり厳かな雰囲気を感じました。1871年7月、佐賀藩は佐賀県となりまもなく9月には、佐賀県と厳原県(対馬)を併せて伊万里県ができ、その時この円通寺が、仮庁舎として使用されたそうです。初代権令(仮県知事) に任ぜられたのは、幕末の英傑のひとり山岡鉄舟でありその歴史をご紹介されました。昭和になり、戦前のころ、この円通寺の住職をつとめていた森永杉洞は、すぐれた俳人でもあり、高浜虚子に師事して、昭和17年(1942)、「伊万里ホトトギス会」を結成し境内には「はく僧と 塵とる僧と 時雨れけり」という句碑が建っており円通寺は、伊万里の政治、文化に深く関わってきた寺院であり大変誇りに思いました。円通寺から坂を下りた反対側の川べりにある伊万里神社では着物を着た多くの子供で賑わっており丁度七五三でした。その境内にも芭蕉などの有名俳人の句が碑に刻まれておりました。
その後教法寺へ。江戸時代、陶器の豪商であった犬塚家が寄進した鐘楼があり四方に鳥獣、草花、波などの精緻な彫刻が施されており当時の文化と技術が結集されたすばらしい鐘楼であり伊万里には素晴らしい歴史的な物があちこちに散在しているのを改めて知りました。
日蓮宗廣宣山妙顕寺へと案内された。ここは今回の最高の見学地でした。600年前に開創された寺院だけに佐賀県重要文化財銅造誕生仏を始めお宝が一杯。首籐白陽の「山水図」、副島種臣、三條実美書元公爵内閣総理大臣、ジャック・ブリンクリーの書、伊万里焼の灯籠など見事なものばかり。ご住職が丁寧に本堂で歴史から芸術品をご説明戴きましたがもっとじっくり鑑賞したいほどのお宝の山でした。是非ご見学に行かれることをお勧めします。
伊万里の歴史文化を振り返る旅に参加して新しい多くの発見をさせていただきました。これからも健康維持と生涯学習とをかねて博美会では歩く会を催していきますので是非参加ください。
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